焼き物 ミニ知識|黄瀬戸・瀬戸焼のご紹介

桃山時代、茶の湯のための茶陶が数多く創造され、黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部が美濃地域で大量に焼かれていたことは、昭和になってようやく明らかになりました。実は、それ以前は愛知県の瀬戸で焼かれたと考えられていたのです。

この事実が判明したのは、昭和5年に荒川豊蔵が可児市の古窯跡から志野筍絵筒茶碗の陶片を発掘したことによるもので、美濃焼に対する関心が高まるきっかけとなりました。

近代数寄者や陶芸家、古陶磁研究家たちが古陶磁の蒐集や研究に力を注ぎ、審美眼を磨いたことによって、美濃焼はやきもの愛好家たちにとって憧れの存在へと変わっていったのです。

黄瀬戸 きぜと

桃山時代には、美濃焼が黄瀬戸という作風を主要なものとして製作していました。黄瀬戸は、黄釉がかかった瀬戸焼の意味であり、窯が隣接する美濃焼は、当時京都で広く瀬戸焼と理解されていました。そのため、美濃焼であっても黄瀬戸の名がついたのでしょう。

織部焼 おりべやき

古田織部の陶器は、尾張・美濃地方で焼かれたもので、文禄・慶長時代(1592〜1615)が全盛期であったとされています。その後、寛永年間(1624〜44)まで続いたこの陶器は、美しい意匠と変化に富んでいます。特徴としては、黒褐色や明るい緑色の釉薬を使用している点が挙げられます。このような独特の色合いは、古田織部の陶器が持つ魅力の一つと言えるでしょう。

黄瀬戸と織部

青磁・ターコイズブルー

中国を代表する青磁に次いで、朝鮮半島でも優れた青磁が焼造されました。10世紀の高麗時代初期に始まり、全羅南道康津郡や仁川広域市で草創期の窯が発見されています。12世紀には「翡色」と称される美しい青色の高麗青磁が完成し、その後の時代にも独自の作風を追求しました。

ベトナムやタイでも、それぞれの王朝時代に青磁が焼かれました。特に14世紀のタイでは、スコータイ王朝下のスワンカローク窯が有名です。日本では、17世紀初めに有田の伊万里焼が青磁の焼成に成功し、鍋島焼がその技術をさらに高めました。江戸時代末期には全国各地で青磁が焼かれ、一時期の流行を見せました。現在では、陶芸作家が青磁を自己の表現手段として活用しています。このように、青磁は世界各地で愛され、歴史と共に独自の技術や表現が生まれていることがわかります。

青磁 せいじ

磁器の一種である青磁は、器面が清澄な青緑色を呈します。これは、釉薬や素地に含まれる酸化第二鉄が強力な還元焼成により、酸化第一鉄へと変化するためです。

過程で酸化炎を受けると、釉色が黄緑色や黄褐色に変わりますが、意図的に黄色を現したものは、米色青磁とも呼ばれます。

青磁は東洋文化を象徴し、東洋陶磁史の骨格を形成する基本的な存在とされていますが、東洋以外では焼造されず、幽邃な美を秘めています。

ターコイズブルーの釉

トルコ石の魅力的な緑がかった明るい青色、ターコイズは心を豊かにする色彩です。見る角度によって深い海のような表情を見せ、様々なシーンで落ち着いた雰囲気をもたらします。

また、その色の揺らぎは絶妙なグラデーションを生み出し、器などのアイテムに美しい彩りを与えます。さらに、ガラス質は細かな結晶を表面にまとい、光の当たり方で煌めきを放ち、視覚的にも楽しませてくれるのです。